大判例

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大阪高等裁判所 昭和50年(ネ)2186号 判決

控訴人 甲川花子

被控訴人 甲川一郎〔人名一部仮名〕

主文

原判決を取り消す。

本件を大阪地方裁判所に差戻す。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。控訴人(昭和四四年七月一八日生)が被控訴人の子でないことを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

一  訴外春山(旧姓甲川)マリ子は昭和三六年一月ころ被控訴人と事実上の婚姻をなして同棲を始め、同年九月一五日婚姻届出を了したものであるが、昭和四二年一一月ころからは大阪市浪速区にある新世界市場商業協同組合の事務所用建物に居住し、夫婦で同市場の夜警をなし、マリ子は昼間同組合の用務員として働いていた。

二  ところが右建物に移つてからは、マリ子は階下三帖の間で、被控訴人は二階で各別に就寝するうえ、被控訴人は毎夜のように飲酒するなどのこともあつて、マリ子と被控訴人との間には夫婦としての交渉は全く途絶えてしまつたのであるが、ことに被控訴人が交通事故により負傷し、昭和四三年九月二六日から同年一二月三〇日まで入院していた間は、夫婦関係を結ぶことが不可能な状況にあつた。

三  然るところ、マリ子は被控訴人の入院中訴外春山二郎と情交関係を結んで懐胎し、昭和四四年七月一八日控訴人を分娩した。したがつて、控訴人は春山二郎の子であつて、被控訴人の子でないことが明らかである。

四  しかし、当時マリ子は法律上被控訴人の妻であつたので、出生届によつて、控訴人は戸籍上被控訴人とマリ子との間の二女として登載されるに至つた。

五  よつて、控訴人が被控訴人の子でないことの確認を求める。

六  原判決が、控訴人は民法七七二条により嫡出推定を受ける子であり、控訴人が被控訴人の嫡出子であるとの推定を排除しうべき客観的な事情のある場合に該当しないから、控訴人は被控訴人との親子関係の不存在を主張する適格を有しないものとして、本件訴を却下したのは、法律の解釈を誤つたもので、不当である。

従来の学説判例は、遠くはローマ法の時代から引き継がれてきた嫡出推定の理論を根拠としている。旧法時代においては、家の思想が基本にあり、子の利益という理念は親子法にほのかにその影を落してはいるが、それが強力に前面に押し出されることはなかつた。例えば、嫡出否認の訴を制限的に理解しようとする点において、子の利益が考えられてはいたが、そもそも否認の訴を提起するかどうかの自然血縁的父子関係を確立する決定権を父の側からだけに認めていた点において、基本的には、家-父の権利ないし地位に重点が置かれていたものである。そこでは、子の側から、父子関係の存否を主張する場合、嫡出推定制度をどのように取り扱うべきかの視点は全く欠けていたといつてよい。現行身分法の学説、判例の中にも旧法時代の身分法の理論を一歩も出ることなく、これに追従するものが多いが、原判決も子の利益の理念を徹底させず、安易に旧法時代の感覚をもつて現行親子法を解釈したところに誤りがある。

と述べ、証拠として、甲第一号証(戸籍謄本、甲川一郎)、第二号証(戸籍謄本、春山二郎)、第三号証(鑑定書)を提出し、原審における証人春山二郎の証言、控訴人法定代理人春山マリ子本人尋問の結果を援用した。

被控訴人は当審における各口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しないが、控訴人において陳述した第一審口頭弁論の結果によると、答弁として、控訴人が被控訴人の子ではなく、マリ子と春山二郎との間に出生した子であることを認めると述べ、甲第一、二号証の各成立を認めた。

原審は職権をもつて、被控訴人本人を尋問した。

理由

第一審裁判所は、本件は、控訴人が被控訴人の嫡出子であることの推定を排除しうべき客観的な事情のある場合に当らないから、控訴人は被控訴人との親子関係の不存在確認を求める適格を有しないものと認め、本件訴を不適法として却下する旨の判決をなしたので、まず、この点について判断する。

公文書であるので真正に成立したものと認める甲第一号証(甲川一郎の戸籍謄本)によれば、控訴人の母春山マリ子は昭和三六年九月一五日被控訴人と婚姻し、同四七年八月一日離婚したものであるが、右婚姻中に懐胎して、同四四年七月一八日控訴人を分娩したことが認められる。

ところで、民法七七二条の規定は夫婦の同居という通常の事態を予定しているのであるから、妻が婚姻中に懐胎した子であつても、妻の懐胎期に夫婦同棲がまつたく欠けており、妻が夫によつて懐胎することが不可能であり、そのことが外見から明白な場合には、同条の推定が及ばないものと解するのが相当である。けだし、同条の適用により夫の子と推定される子については、その推定を覆えす方法として七七四条以下の嫡出否認の訴のみが許され、この訴は、夫の側から、かつ、夫が子の出生を知つたときから一年以内に提起されなければならないというきわめて制限的なものであるため、右のような場合には、このような制限を受けないで父子関係を否定しうるものとする必要がある。

そもそも、嫡出の推定を定め、一定の方法によつてのみこれを覆えしうるものとする民法の制度は、妻の婚姻中の懐胎子も夫の子でない場合がありうることを予想しつつも、家庭の平和のため、一応これをすべて夫の子として取り扱い、夫が自ら家庭の秘事を曝露してまでも父子関係を否定しようと欲するときにのみ、これを否定することを可能ならしめるとともに、その期間を制限することにより、可及的速やかに父子関係を確定し、身分的法律秩序の安定を図ることを目的としたものと解される。しかし、このような制度は、一面からすれば、真実に合致した身分関係を形成するか否かを、結局夫の感情いかんにかからせているといつても過言ではないし、何よりも、子にとつては、不本意でも、真実の父でない夫の子として拘束され、真実の父を探究しえないという場合が生じうるという点で、苛酷な制度であることは、否定しえないところである。そして、夫婦間に通常一見平穏な家庭生活が営まれているような場合には、右のような結果も、家庭の平和の保護という法律の一方の理念の前には耐えるべきものとする理由があるが、夫の長期間の不在、別居等の場合、夫婦間に事実上離婚が成立して別居している場合など、夫の子を懐胎しえない明白な事実があり、家庭内の秘事に立ち入るまでもなく父子関係を否定しうる場合に、それにもかかわらず、なお真実に反する父子関係を維持しなければならないということは、もはや家庭の平和の保護とは関係のないことであり、他面で可及的に真実の血縁関係に合致した法律上の父子関係を形成しようとする法律の基本的な理想からは、まつたく容認しがたいところである。

ところで、嫡出推定の基礎たる夫婦同棲の欠如していることが、外見上明白な場合といつても、右のような外観的事実の存否は、何らの証明をまたずに明白であるというようなものではなく、やはり証拠調をまつて判明する事柄であるから、結局右にいう夫の子を懐胎しえないことが外見上明白な場合とは、夫婦間の秘事を少くとも直接には公開しないで立証しうるものであるかぎり、ひろくその証拠調の結果を総合してはじめて判明するような場合をも包含するものと解するが相当である。けだし、否認の訴によつて保護しようとする身分関係秩序尊重の必要もさることながら、推定が真実に反する状態のままで確定してしまうことに耐えられないという現実の要請を無視することは、かえつて、真実の父子関係の成立を促進するという親子法の本旨に背反する結果となるからである。

本件についてこれをみるに、前顕甲第一号証、公文書であるので真正に成立したと認める同第二号証(春山二郎の戸籍謄本)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める同第三号証(大阪医科大学法医学教室松本秀雄作成の鑑定書と題する書面)、原審における証人春山二郎の証言、控訴人法定代理人春山マリ子、被控訴人各本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

マリ子と被控訴人は、昭和四二年一一月ころから家計を補うために大阪市浪速区にある新世界市場商業協同組合の事務所用建物に住込んで夜警をつとめ、昼間はマリ子が事務所の用務員として働いていた。右建物に移つてからは、マリ子は長女夏子(昭和三七年一〇月一六日生)と階下三帖の間で、被控訴人は二階四帖半の間で各別に就寝していたうえ、被控訴人は毎夜のように飲酒するなどのこともあつて、夫婦仲はとかく円満を欠いていたこと、被控訴人が昭和四三年九月二六日交通事故により右足肢の膝関節部を骨折して直ちに新世界の佐藤病院に入院して治療を受けたこと、右入院中被控訴人は一度も自宅に戻つたことはなく、他方マリ子は当時昼間は右組合の用務員として立ち働き、夜間は市場の夜警に当らねばならなかつた関係もあつて、日中僅かな時間をさいて、たまにしか被控訴人を病院に見舞うことができないような状況にあつたこと、したがつて、右マリ子が被控訴人の子を懐胎する可能性があつたのは入院前の昭和四三年九月二二日から入院当日の同月二六日までの五日間と退院当日の同年一二月三一日の一日間、合計六日間についてだけであり、しかも、右マリ子の最終月経日は同年一〇月一七日ころであつたから、控訴人は被控訴人の入院中の懐胎子であることは間違いない。そして、控訴人、被控訴人、マリ子および訴外春山二郎の四名に対する血液型、血清型、その他医学的見地からする諸検査の結果によれば、マリ子を母として、控訴人と被控訴人との間には、ガンマ・グロブリン(Gm)血清型において父子関係が成立しない。他方春山二郎は血液型、血清型、血球酵素型および耳垢型の成績のいずれにおいても、それぞれ遺伝法則からみて、控訴人との間に父子関係が成立し、これを否定することはできない。そして同人が控訴人の実父として肯定される確率からみれば、その可能性は九六・五パーセントの高値となる。その他指紋検査、顔貌検査の成績からしても、控訴人との間に父子関係の成立を否定すべき要素はない。なお、マリ子は控訴人の懐胎を契機として、昭和四七年八月一日被控訴人と協議離婚し、被控訴人もまた控訴人が自己の子でないことを認め、その親権者をマリ子と定め、マリ子においてこれを引取り、同四八年四月二八日春山二郎と再婚したことが認められる。

以上認定のような事実関係のもとでは、控訴人は講学上のいわゆる推定されない嫡出子というべく、形式的には民法七七二条の規定にあてはまる子であつて、一応はこれを嫡出子として扱うほかはないが、実質的には同条の適用を受けず、従つて、その子の嫡出性を争うには同法七七四条以下の嫡出否認の方法によることを要せず、一般の親子関係不存在確認訴訟をもつて足るものと解してさしつかえない。

右の次第で、控訴人の本件訴は適法であると認めるのが相当であるから、これと異る原判決を取り消し、民事訴訟法三八八条に則り本件を第一審裁判所に差し戻すこととして主文のとおり判決する。

(裁判官 宮崎福二 田坂友男 中田耕三)

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